豊地城

別名 東条城・拾市城
     依藤城・都市城 
付近住所 小野市中谷町 現在-
2007/8/16 碑・案内板アリ 日本城郭大系


金谷経氏→
依藤氏→
別所重棟→
栗山氏
 字城土居を中心として東西約400m、南北約200mの城域をもつ中世の平城で、東西北の三方に川がある要害の地に城を構え、周囲には堀と土塁を築いて防備を固めていた。
 城主は、南北朝時代は金谷経氏、応仁年間以降は依藤氏(赤松氏の家臣)、三木の別所重棟、栗山氏(初代赤松氏の実兄景盛の子孫で依藤氏時代からの執権)と変わる。東條谷を領して、室町 戦国時代の出来事に深く関わり、三木合戦後(天正8年頃)秀吉の命にとり取り壊されたが、城跡は栗山氏が引き継いで、以後、畿内 九州 朝鮮出兵など秀吉の働きに広く協力した。